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福岡家庭裁判所 昭和44年(家)992号 審判

申述人 伊藤勝子(仮名)

被相続人亡 伊藤みね子(仮名)

主文

本件相続放棄の申述を受理する。

理由

本件申述人は、「被相続人伊藤みね子についての相続を放棄する」旨申述し、その事情として、被相続人伊藤みね子は、昭和四四年五月四日死亡したものであるが、同人には配偶者も子もないため、同人の兄の子である申述人も共同相続人の一人となつたところ、義兄らの手によつて申述人名義の本件相続放棄申述書が福岡家庭裁判所宛に提出され、申述人は被相続人の遺産の処置に不満があつたため、相続放棄をしない意思があつたところ、その後、義兄らと話合をした結果、申述人も遺産の処置に納得し、相続放棄をする意思を固め、本件相続放棄申述書を追認する旨申立てた。

よつて、審接するに、岐阜家庭裁判所多治見支部に調査の嘱託をした結果及び本件記録に編綴された戸籍謄本によれば、

(1)  申述人の叔母に当る被相続人伊藤みね子は、昭和四四年五月四日福岡市内において死亡したが、同人には配偶者も子もないため、同人の兄弟或はその子が相続人になり、本件申述人も共同相続人の一人となつたこと。

(2)  本件申述人は、被相続人伊藤みね子の死亡を即日知らされ、翌日その葬儀に列席したこと。

(3)  被相続人伊藤みね子は、生前において小川一男と共同して料亭を経営しており、したがつて、遺産としてこの料亭への出資金等を残していること。

(4)  昭和四四年五月末頃、申述人の義兄佐藤宏から電話があり、被相続人伊藤みね子の経営していた料亭の営業を今後共同経営者である前記小川一男に任せるかどらかについての書類が来ているので、それに異存はない旨の印を押しておいたとの通知があり、その後二週間程してから、前記小川一男から、「伊藤みね子についての相続放棄の委任をして戴いたことを感謝する、早速今後の手続を取計らいたいと思うので宜しく頼む、伊藤みね子の衣類を形見として従業員親族一同に分配したから受領して貰いたい」旨の手紙が来て、さらにその一週間後、同じく小川一男から「伊藤みね子の持金を相続権のある者で分配し、亡伊藤千代吉(申述人の父)の分として同人の妻めぐみ、長女みどり(佐藤宏の妻)、二女勝子、長男伊藤雅徳にそれぞれ一〇万円宛分配することとし、申述人の分として一〇万円を送金する」旨の手紙が来て、一〇万円送金されて来たので、これを受領したこと。

(5)  昭和四四年六月一四日佐藤宏からの連絡にしたがい、同人宛に電話したところ、同人から相続放棄の印を押して欲しい旨の申出を受けたが、申述人は、伊藤みね子の形見の衣類を受取つていないこと、及び、小川一男からの手紙で申述人に相続権のあることを知つたが、その相続を放棄することの捺印であれば承知できない旨の返答をしたこと。

(6)  同月一五日、佐藤宏、みどりの両名が伊藤みね子の形見の品を持参して、申述人を訪れ、相続放棄を承認して欲しい旨重ねて申入れて来たが、申述人は、後日回答する旨述べて即答を避けたこと。

(7)  同月一六日、母めぐみから速達便で、佐藤宏の要請にしたがつて相続放棄の書類に印を押して貰いたい旨の手紙が来たので、申述人は、翌一七日佐藤宏宛に、「母の要請にしたがい、母のために、相続放棄を承認する」との電報を発したこと、しかし、本件相続放棄の申述書は、申述人自身が署名捺印して作成したものではないこと。

(8)  申述人は、昭和四四年九月八日岐阜家庭裁判所多治見支部において本件相続放棄について審問を受けた際、前記(1)から(7)の事情を申し述べたうえ、前記電報を発した後、佐藤宏から、本件共同相続人の一人である雨宮栄は一一〇万円、同じく竹田いく子は二〇万円貰つた旨を聞き、不公平な分配であること、及び本件相続財産がはつきりしないことから、本件相続放棄の意思はなく、したがつて、本件相続放棄の申述を受理しないで貰いたい旨申立ていること。

が認められる。

しかるに、申述人は、当庁昭和四四年九月二八日受理の書面で本件相続放棄に関する審判を猶予願いたい旨申出、さらに、同年一〇月二日当庁に自らすすんで出頭したうえ、岐阜家庭裁判所多治見支部において陳述したことは事実のとおりであるが、申述人の意思が変わり相続放棄をすることに意を決したので、同年七月一五日付で当庁に提出されている申述人名義の本件相続放棄の申述書を追認したい旨申出、その間の事情として、同年一〇月一日、申述人は福岡に来て、兄弟その他の親族の者達と話合の結果申述人が小川一男から六〇万円を受領し、これを直ちに佐藤宏に対し返済の期限を定めずに貸与し、申述人は本件相続放棄をすることを承認した旨陳述するものである。

ところで、相続の単純承認の意思表示をしたときは、これを撤回することが許されないのである(民法九一五条一項)。そして、相続の単純承認の意思表示は、限定承認ないし放棄の意思表示とは異り無方式の意思表示で足るものであるところ、申述人は、被相続人伊藤みね子とともに料亭を共同経営していた前記小川一男から伊藤みね子の持金の分配として一〇万円の送金を受けて、これを当然のごとく受領しているばかりか、伊藤みね子の衣類の形見分けにあずかつていないことに不満を示して、義兄佐藤宏に対し相続放棄をしない旨一旦回答しているうえ、さらにその後岐阜家庭裁判所多治見支部において本件相続放棄に関し審問を受けた際においても、他の共同相続人が自分より多額の相続分の配分にあずかつていることに強い不満を示して相続放棄はしない旨明言していたものであること前判示のとおりであるから、申述人は、既に相続の単純承認をする意思を表示していたものと認むべき事情が十分に窺われるばかりか、さらに、その後において、親族間において協議のうえ、前判示のとおり被相続人伊藤みね子の共同経営者から六〇万円を受領しているのであるから、共同相続人の一人として遺産の分配を受けた形跡が濃厚であるといわざるをえない。若し、申述人が、既に単純承認の意思表示をし、遺産の分配にあずかつているものとすれば、もはや相続の放棄をすることは許されないのである。

しかし、相続放棄の申述の受理に関する審判は、相続放棄の有効無効を確定する裁判ではなく、単に相続放棄の意思表示を受領し、これが相続人の真意に基くものであることを公証する機能を有するに止まるものであり、また、この審判に伴う国家の後見的機能も相続人保護(相続人の錯誤の防止等)のために発揮されるべきことが期待されているに止まり、相続債権者保護の機能までも担つているものではないと解するのが相当である。したがつて、本件相続放棄が仮に無効なものであるとしても、その申述が申述人の真意にしたがつたものである以上これを受理せざるをえないのである。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事裁判官 金沢英一)

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